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ちょっとコトバに偏りすぎかなあと思いました。

先日、モンゴル料理屋さん「シリンゴル」

写真家の友人とお食事をしました。


彼女は、旅行するのが好きな方。

また行ってみたい、忘れられない好きな場所はある?

と聞かれた私。


うーーん、特に、絶対ココじゃなきゃ、というのは今のところないかな。
ただ、日常生活みたいな雰囲気が好きだから。
私は、英語とフランス語とドイツ語とハングルしかわからないから
それ以外のコトバの国にはあまり惹かれないなあ。

昔は、エネルギーはないものとして生きていたから、
今、もう一度、エジプトに行ってみたいとか、マヤに行ってみたいとか、
そういうのは、あるけれどね。

と応えました。


何?何で、そんなにコトバ話すの???

という話になったのはさておき。
(あ、ちなみに、使い物になるのは英語ぐらいです、フランス語は磨けばなんととかなるかも)


うん、そう、言語のコミュニケーションにこだわりすぎかなと思いました。

先進国はさておき、エネルギーのコミュニケーションが
大きな意味を占めている場所はいっぱいいありますよね。

あ、ちなみに、私、以心伝心、キライです。
ちゃんと、表現してほしいです、そうじゃないと、ないことにしちゃいます。
だって、あとで苦労しそうだからね。

一緒にいたのが、写真家さんという、空間を視覚表現として
それは美しく切り取る方なので、素直にそう思えたのかもしれません。


私は、まあ、仕事にしているくらいなので
エネルギーの流れが、わかる人なのでしょう。


だから、

「普通の人が表現しないでも汲んであげる感情」

「エネルギーを覗いているからわかる感情」

この、区別がつきにくい。


加えて、カラダだとか、3次元とか大好きで。
だからこそ、がっつりと表現しあう関係が好きです。


でも、うん、ちょっとコトバに偏りすぎかなあと思いました。

その割には、「日本人ですか?」って訊かれちゃうくらいの
日本語の下手さだったりしているのですが、それはさておき。

そもそも、最近、ものすごーーーく久しぶりに洋書を取り寄せて。
大学時代のことは思い出しました。
ときは20世紀。私は、オセアニアの宗教芸術の研究をしていました。
日本語の本はほとんどなく、洋書がバイブル。
で、spiritualというコトバ、いっぱい出てきていたんですね!
すっかり忘れていました。

なんて認識していたんだろう?
今、出まわっている、「スピリチュアル」あるいは「精神世界」という
コトバとは、うーーん、私の中ではコトバのエネルギーが違いました。

だから、spiritualになじみがあったこと忘れていました。
私、昔からどっぷり、spiritualだったんですね〜

けれど、うーん、スピリチュアルはどうもピンと来ないし。


何が言いたいかというと。


コトバは、とても素晴らしいけれど。

でも、その程度なんですね。

世の中パーフェクトなものなんてなにもなくて
でもすべてがパーフェクトなんだけれど。

うん、もちろん、コトバもその程度なんです。


要するに、思いっきり縛られている自分、こだわっている自分を発見して

笑えてきて、笑いすぎて涙が出てきました。


あ〜〜、美術館行きたい。

・・・まあ、人間は情報の7割を視覚から得ているので
それはそれで偏りかもしれないけれど。
いいのです。

それに、絵は視覚以外のエネルギーも発しているしね。

視覚情報 語学 宗教 写真家 オセアニア

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