タンタン(淡々)語録  エネルギーやチャクラ・オーラ・曼荼羅などのはなしTop >  未分類 >  自分の存在する世界の前提として生きているというわけです。

自分の存在する世界の前提として生きているというわけです。

先日、富士山へ行きました(写真がなくてごめんなさい)。
連れて行ってくれた友人によると、3合目への道が開いたばかりとのこと。いくつか訪問するスポットがあります。

半年ぶりに行くと、場所場所のエネルギーの体感が変わっていて。
けれども、いくら「場」が永遠ではなく「瞬間」・「瞬間」の連続で存在しているとは言っても、変わったのはあたしの方なんだろうな、と思いました。

半年ほど前に某神社の大祭(里宮)で舞を奉納させていただいたことがあったのですが。
当日、奥宮を訪問したところ、神官さんがあたしのことを覚えていてくれてとてもうれしかったです。
・・・髪も切ってけっこう雰囲気が変わったのにありがたいことです。


「場」の話に戻ります。

場はもちろん、生物ならぬ静物も常に動いています・・・とあたしは考えています。振動しているいう表現だと、「ピン」と来ていただける方が多いかもしれませんね。

実際は、ええ、本当に、まったく別のものが「瞬間」・「瞬間」存在しているといっても言い過ぎではないのです。

あたしも含めて、人間は、みたいものをみたいようにみます。

そして、どれが間違っているとかじゃなくて、ぜ〜んぶ事実なのです。

すべて、あたしたちひとりひとりの視点が決めています。


エネルギー調整をするときのチェックは多角的にするようにしているけれど(でもあたしの視点だけれどね)、普段に会話しているときはそこまで意識していないときがあります。

あたしが、何かを言ったことに対して、1週間後ぐらいにメールや電話をいただくことがあって。

「あのときは○○だってエネルギーをみて、そう言ったんですか?」って言われることがあります・・・・いえ、ただそのときはただ会話しいただけです。

『1週間も気にしていただいて、ああもうちょっと会話に気をつけなきゃな』と反省したりもします。

難しいですよね。


フランス語では、「歴史」と「物語」、どちらも l'histoire というコトバです。

本当にそのとおりですよね。


要は、エネルギー使いであるあたしは

エネルギーがあるという世界を

自分の存在する世界の前提として生きているというわけです。

こちらはタンタンが昔書き留めていた旧ブログです。
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